戦国の古文書を読む:永禄11年12月19日付北条氏照書状

こんにちは、不識庵です。

戦国史研究から遠のいてしまっていたので、少しリハビリも兼ねて史料を読んでいきたいと思います。

取り上げるのは、上杉氏と北条氏との間に結ばれた「越相同盟」に関する史料で、北条氏側から上杉氏へ発信された初見の文書となります。

▼永禄11年(1568)12月19日付北条氏照書状
雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間候処、無意趣茂以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越示合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之旨、此度及手切之由、自甲被申越候、然則、貴国へ内通故歟、今川殿御滅亡無是非候、如此之上者、無二当方御一味所仰候、氏康父子心中雖不存知候、駿・甲両国如此成来候上者、何歟も不入候条、愚存申達候、願ハ御同意可被散累年之御鬱憤事、此節ニ候、恐々謹言、
    十二月十九日          平氏照(花押)
 (宛所欠)
   (志賀槇太郎氏所蔵文書・『上越市史』別編1 六二八号)

署名の「平氏照」は北条氏照のこと。彼は北条氏康の息子で、兄は氏政、弟には氏邦がいます。(花押)はサインですね。

宛所は無いのですが、内容から見て上杉氏へ宛てたものであることは分かります。ただし、上杉謙信宛なのか、家臣宛なのかは不明です。

さて、読み下すとこんな感じでしょうか。

思慮浅からずといえども、愚札を馳せ候、そもそも駿・甲・相更に離れず御間に候ところ、意趣なくも国競望の一理をもって、今般甲より駿州へ乱入候、しかるに当方への表向きは、駿越と示し合わせ、信玄滅亡の企てを取り成され候、このところたしかに承り届けるの旨、この度手切れに及ぶの由、甲より申し越され候、しかるのち、貴国へ内通ゆえか、今川殿御滅亡是非なく候、かくのごとくの上は、無二当方御一味を仰ぐところに候、氏康父子心中を存じ知らず候といえども、駿・甲両国かくのごとく成り来り候上は、いずれかも入らず候条、愚存を申し達し候、願わくは御同意累年の御鬱憤を散じられるべきこと、この節に候、恐々謹言、
 十二月十九日          平氏照(花押)
 (宛所欠)

これを解釈してみましょう。

思慮が浅いと思いましたが、手紙を急ぎお出ししました。そもそも今川氏と武田氏と北条は非常に深い間柄であるところに、理由もなく、ただ国を攻め取ろうという道理だけで、このたび武田氏が駿河国に攻め入りました。ところが、こちらへの説明は、今川氏と上杉氏が示しあわせて、信玄を滅ぼそうとする計画を相談していたことが確かめられたので、この度今川氏との同盟を破ったのだということを、武田氏から言ってきました。そこで、貴国へ内通したということであれば、今川殿の滅亡は仕方がありません。こうなった上は、私たちの味方になっていただくようにお願いします。氏康・氏政父子の考えは分かりませんが、今川氏と武田氏との間がこのようになってしまった上は、選択の余地はないと思い、私の考えをお伝えいたしました。願わくは御同意されて、積年の御鬱憤を晴らされる機会であると思います。

戦国時代、今川・武田・北条の三氏はそれぞれの婚姻関係により強固な三国同盟を結んでいました。ところが、永禄11年12月に、武田信玄が突如駿河へ攻め込んだのです。これに驚いた北条氏は、今川氏との同盟を重んじて、武田氏と干戈を交えることとなりました。

武田氏が何故今川氏を攻めたのか。この氏照の書状では、今川氏が上杉氏と同盟を結んで武田氏の滅亡を企てたことがその理由としてあげられています。

当時の上杉氏は、信濃国をめぐって武田氏と対立を深め、また関東では北条氏と争っていました。北条氏は、同盟関係にあった武田氏を関東への援軍として引き入れ、結果武田氏は上野国の西部を領国化するに至っています。

武田氏との戦争勃発により、氏照は、敵対していた上杉氏との同盟を企てたのです。氏照は、父の氏康や兄の氏政の意向は聞いていないと書いていますが、どうでしょうか。まずは、独断という体で交渉を開始したのではないかとも思われます。万が一破談となっても、北条氏の体面は保てますから。

とにかく、北条氏は上杉氏と結ぶことで武田氏を挟撃する必要に迫られるほど、武田氏の動きは北条氏にとって突然だったのでしょう。信玄の駿河侵攻からまもない時期に氏照が書状を送ったことに切迫した状況が感じられます。

展示情報:国立歴史民俗博物館

企画展示「日本の中世文書―機能と形と国際比較―」

rekimin

会期:平成30年10月16日(火)~12月9日(日)
会場;国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
休館日:10月22日・29日、11月5日・12日・19日・26日、12月3日
開館時間:9:30~16:30(入館は16:00まで)

本展は、館蔵資料を中心とする260点ほどの古文書を通して、日本の文書史をたどるとともに、東アジアの国々の文書と比べることで日本の文書の特徴を考えます。

→ 国立歴史民俗博物館

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