『特別展 謙信 越中出馬』
「謙信を英雄視しない」展覧会の図録です。
A4版59頁 フルカラー 平成29年9月16日発行 1,000円
【目次】総論 越中からみた上杉謙信/本展のキーパーソンー謙信とその好敵手たちのプロフィール/第一部 謙信VS信玄/第二部 謙信VS一向一揆/第三部 謙信VS信長/おわりに「謙信 越中出馬」その後
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大義名分を重んじ、私利私欲の戦いはしなかった「義」の武将謙信は英雄ではなく侵略者であったという視点に立った展示です。総論では、十度にわたる上杉氏の越中攻略(侵略?)について、要領よくまとめられており、概説としては有意義なものとなっています。その主張は、当初謙信の越中出馬は同盟者を助けるという大義名分のもとに行われたが、その後は謙信願文に見られるように「分国」化という領土欲むき出しで戦争を進めていったというものです。
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戦国大名の国外戦争をどのように捉えるのかという問題は、戦国大名の本質に関わる重大な問題であり、難問です。天文期にいたり国外戦争が活発化していく時、戦争のきっかけの多くは合力要請にもとづくものであり、大名は同盟者の安全を保障する代わりに、徐々に主従関係を築いていくことになります。謙信の関東出兵も「味方中」からの合力要請でした。「分国」とは、戦国大名の本国及び影響下にある他国を合わせた範囲を示すものと考えれば、その分国の平安を神に祈るのは筋が通りますし、また脅かすものがあれば排除するために武力を動員するのは当然であると思います。ですから、戦国大名にとって合力要請を無視することは、自己の存在意義にも関わることとなり、ひいては分国の崩壊につながる危険をはらんでいたと思われます。
まあ、立場により見方は変わるのが歴史の常ですから、越中の反謙信方にとっては上杉氏が「凶徒」であるのは間違いないでしょう。
それから、本書の参考文献にもれがあるので追加しておきます。栗原修「上杉氏の隣国経略と河田長親」(同著『戦国期上杉・武田氏の上野支配』岩田書院、2010年収録)は、関東支配や越中支配で重要な役回りを担った河田長親を通して、上杉氏の分国支配について検討したものです。
買って良かった? ★★★★☆