『関東三国志 越相同盟と北条氏邦』
A4版 フルカラー 69頁 平成26年10月11日発行
【目次】Ⅰ 河越夜戦以後の武蔵国の状況/Ⅱ 甲相駿三国同盟/Ⅲ 越相同盟と北条氏邦/Ⅳ 越相同盟の破綻/コラム1 北条氏邦と越相同盟(黒田基樹)・コラム2 越相同盟と鉢形城ー氏邦と三山綱定と鉢形衆ー(浅倉直美)/越相同盟関係年表
本書は、平成26年度に開催された特別展の図録です。鉢形城は、相模北条氏の一族である北条氏邦が拠点とした城です。氏邦は、北条家三代氏康の子で、四代氏政や氏照らの弟にあたります。彼は、武蔵の地域領主である藤田家に養子として入り、上野国との国境に接する武蔵西部を固めていました。
彼が外交で脚光を浴びたのが、北条氏と上杉氏との同盟交渉においてでした。のちに「越相同盟」と呼ばれるこの同盟は、今まで敵対してきた両氏が一転して同盟したのですから、当時の東国情勢を一変させることとなります。同盟交渉のきっかけとなったのは、甲斐武田氏による駿河今川氏への攻撃でした。永禄11年より数度行われた駿河国侵攻により、戦国大名としての今川氏は滅亡します。
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それまで、武田・今川・北条はいわゆる三国同盟を結んでいて、お互いに姻戚関係にありました。なぜ武田信玄は同盟を破るにいたったのか。武田側の言い分は、今川氏真が上杉謙信と同盟の交渉をして、武田氏を挟撃する動きをみせたからであると主張しています。
甲斐武田氏内部でも路線転換には大いにもめており、信玄の嫡子義信が廃嫡され、自害させられています。義信の妻は今川義元の娘であり、彼は今川家に近い立場にあったと思われます。永禄3年義元が敗死して後、信玄は織田氏や徳川氏などと連携を深め、家中での路線対立を解消して、駿河へ攻め込んだわけです。このような信玄の動きを今川側でも察知して、武田氏の背後にいる上杉氏と連携しようとしたのでしょう。
今川氏真に娘を嫁がせていた北条氏康は、駿河動乱の際に娘が徒歩で脱出するという恥辱的な状況で掛川城へ逃れたことを聞いて激怒し、武田氏との対決を決意します。そこで、氏邦を交渉役に立たせて上杉氏との同盟を実現しようとしたのです。
本書では、ここまでの経緯を「Ⅰ 河越夜戦以後の武蔵国の状況/Ⅱ 甲相駿三国同盟」でまとめています。Ⅰ章はⅡ章の前段階なので、越相同盟交渉とはちょっと時代が離れていて余計な感じがします。
「Ⅲ 越相同盟と北条氏邦」で、いよいよ氏邦がどのように交渉に臨んでいたのかが叙述されているのですが、そんなに分量は多くないです。しかしながら、関係する文書が大きな写真で掲載されていて、見応えがあります。氏邦については、巻末の二つの論考がありますので、そちらに譲ったのでしょう。
氏邦の他に、彼の兄氏照も交渉にあたっています。さらに、上野の地域領主たちや、上杉氏側の窓口となった人物なども関わって、彼らがどのように交渉を取り次いでいたかなどが興味深く、以前より戦国大名の外交の実態を知ることの出来る好事例として研究に取り上げられてきました。本書にも「北条氏の取次一覧」が掲載されて交渉相手ごとの取次役があげられています。
外交ルートは今も、さまざまなレベルで行われています。また誰を交渉相手とするかにより事の成否に関わってきます。ですから、取次役の人物がその大名家中のなかでどのような立ち位置にいるのかも見えてきますから、外交を通じて大名家中の構造も追求できるわけです。
本書は、戦国真っ只中の東国を揺るがした大事件「越相同盟」を正面から取り扱った文献として、また越相同盟を知る手がかりとして有用な本だと思います。
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