上杉氏関係論文一覧を更新しました

こんにちは、不識庵です。

暑いですね。東京でも35度を超えたそうです。

さて、久しぶりに「上杉氏関係論文一覧」を更新しました。

ここ数年は中世の論文を読むことから遠ざかってしまいましたが、最近の研究状況に追いつこうと思っています。でも、集中するとめまいが起こるので、ほどほどですが。

展示情報:富山市郷土博物館

企画展「神保の城 佐々の城-富山市内の戦国城館-」

富山市内には富山城の他にも、戦国時代の武士たちが拠点を置いたとみられる城館の跡がいくつも確認されています。それは、この富山の地ひいては越中国(富山県)が、領土拡張をめぐって各地の勢力が攻防を繰り返す「境目」だったためとも考えられるでしょう。様々な城館を舞台に、越中の守護代をつとめた神保氏、越後の戦国大名上杉氏、織田信長から越中国主に任じられた佐々成政らが、戦火を交わしていったのです。本展では、知られざる富山市内の戦国城館について、発掘調査で出土した遺物を中心に古文書も用いて紹介します。本展が戦国時代の富山へ思いを馳せるきっかけとなれば幸いです。(同館HPより)

会期:平成30年4月21日(土)~6月24日(日)

開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休館日:5月9日(水)

→ 富山市郷土博物館

展示情報:松江市立松江歴史館

特別展「本能寺の変-再考 何が明智光秀を決起させたか-」

天正10年(1582)6月2日、天下統一を目前に控えた織田信長が、京都本能寺で家臣・明智光秀に討たれた事件“本能寺の変”を、最新の研究成果に基づき展示します。本能寺の変の黒幕については様々な説があり、近年とくに説得性をもって説明されるのが信長の四国攻めの方針転換のなかに、光秀の動機の契機があったとする説です。諸説の紹介とともに、信長の中国地方攻め、尼子氏再興戦、山崎の戦い、戦後処理などで、後に松江開府の祖として松江城を築く堀尾吉晴の活躍があったことを明らかにします。(同館HPより)

会期:平成30年2月23日(金)~4月8日(日) ※3月15日(木)は休館

→ 松江市立松江歴史館

         
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